珈琲と一人口

今日も一日生きてみましょうか

2021/02/09

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僕はしぬのがめちゃくちゃ恐くなるタイミングが、時々くる。

子どもの時は誰しもあるかもしれないけれど、しぬのと同じくらいに体臭とか汗っかきとかデコ広とか色々とコンプレックスも相まり、自分に自信が無かったからか、「この世の中」が恐かった。

この世界でこのまま大きくなって生きていけるんだろうか、独り立ちとか確実に無理だろ..と思いながら日々コンプレックスと戦い負け続け、しぬことと世の中に怯えつつおかんに甘える毎日だった。

そんな時おかんと、特に兄達が温かかった。

とても温かかった。

チョロっとしか覚えてないけれど、三男の僕が小学校くらいの時に、世に翻弄された酔っ払った長男が真夜中、寝ている次男を殴ってストレスを発散しているのを見た。※思春期には、三兄弟色々とあった。

そしてその他諸々あり、次男は長男を物凄く憎んでたりするらしいのだが、今の次男曰く「憎んではいるものの、もし長男にピンチが訪れたら100万でも幾らでもポンと出す」と強い意志を持って長男を救うことを主張されていた。

そして長男は、僕の難病を持つ息子を鑑みて、(普段そんなこと言わないのに)「沢山色んな景色を見せてあげな」と優しい一言を放ってくれたり、沢山長男に構ってくれたりする。

おかんはただただ温かく三兄弟に愛情を注いでくれ、喜怒哀楽を真正面から教えてくれた。

そんな家族に囲まれ、僕にとって辛いことがあっても家族が最後の駆け込み寺になってくれたお陰で、これまで何とか生きてこれた。

※因みにおとんは考えていることが良く分からない。

そんな僕にとって、家族とは信頼を置ける唯一無二のいつでも帰ってこれるという安心できる居場所、という概念である。

なので自身で作り上げた家族が、「離婚」という言葉を放たれると、心を抉られつつ崩壊してしまう。そんなこと言われるには理由があるかと言われれば、きっかけは取るに足らない些細な出来事だったりする。

そんなことで僕にとってもそうだが、子どもにとっての拠り所が壊されるのであれば、もう僕は信頼という言葉を忘れ、色々と諦めるしかなくなる。

という妄想をしてたりする。